我が事のように考える
九州地方で、ものすごい大雨が続いていると報道されています。
「雨」という言葉がついていると、ちょっと油断してしまう自分が居ます。
大雨なら、しっかりした雨具で出かけようかなと思うくらい。
豪雨なら電車が遅れるかもしれないと、早めに出発するかな?
だってどんなに強い雨だって言ってても、しょせんは「雨」だもんねー。←おバカ!
自分の認知する視野の外では危機的な状況が迫っていたとしても、それはきっとわが身には降ってこないと思いたい。無意識のうちに正常性バイアスをかけてしまうんでしょうね。
だって、雨が降るのは日常よくあることで、日常生活の延長線上で自分が被害に遭うかも…。なんて、いちいち心配していたら精神的に疲れちゃう。
テレビでアナウンサーが緊張した面持ちで「いのちを守る行動を取ってください」て言ってても、いざ避難しようとしてもそうスンナリできません。きっと。
避難すると決断するまでは、かなり悩むでしょう。
*仕事は休める?
*避難先に持っていくものは?
*どこの避難所に行けばいいの?
*いつまで避難生活が続く?
決断するまでに悩んで、準備にもかなり時間がかかるでしょう。
避難の準備ができたとして、
*大雨のなか、いつ出発する?
*どの道で行く?
*家に居ない家族とはどこで合流する?
やっぱりここでも悩みそうです。
できるだけ悩む時間を少なくするには、よく聞くことだけれど、普段から準備(持ち出しするものの準備・点検)したり、訓練(いくつかの避難所へ歩いて行ってみる・連絡方法を試してみる)したりが欠かせないみたいですね。
不謹慎かもしれないけれど、(テレビに映っている)避難しているひとがもし自分だったら、どうすればいいのだろう。
ときどき、年に何度かは、自分の生活・自分の家族だったら、と考えてみるのがいいのでしょうね。
さっそく、わが家が利用できる避難所を調べることから始めてみるつもりです。